法華経の注釈集 妙荘厳王本事品

(とくに記載がない場合、ページは『中公文庫 大乗仏典5 法華経Ⅱ』による。また〔 〕は筆者が補足した部分である。)

 

P.237

・妙荘厳王

 妙音菩薩品で釈迦への”聞き手”として登場した、華徳菩薩の過去世。妙音菩薩品において”妙音”とは何かを問う”大役”を果たしていた華徳菩薩であるが、過去世の妙荘厳王は異教のバラモンの教えに傾倒してしまっていた。彼がどのようにして仏法のもとへ引き戻されるかが、本章の見どころである。

 

・浄徳(王妃)

 妙荘厳王の妃。華徳菩薩と同じく、釈迦の弟子である光照荘厳相菩薩の過去世(P.249参照)。ちなみに、”浄徳”は妙音菩薩が持つ17の三昧のうちの一つ、”ヴィマラの授けた”と同じ意味である(P.210参照)。

 

・浄蔵と浄眼

 妙荘厳王の二人の息子。それぞれ薬王菩薩と薬上菩薩の過去世(P.249参照)。ちなみに、”浄蔵”は妙音菩薩が持つ17の三昧のうちの一つ、”汚れなき胎蔵”と同じ意味である(P.210参照)。

 

P.240

・「『良家の子らよ、そこで、若者の浄蔵と浄眼とは、そのとき、空中にターラ(多羅)樹の七倍の高さまで登って、その父である妙荘厳王に慈しみをいだいて、仏陀によってなすことが許されている奇蹟を一対ずつ行なった。(すなわち、)彼らはともに、その虚空にいて、寝てみせたり、その虚空のなかを歩きまわったり、その虚空のなかで塵を振り払ったり、その虚空のなかにいて、下半身からは奔流のように水を放ちながら、上半身からは火の塊りを燃え上がらせたり、上半身からは奔流のように水を放ちながら、下半身からは火の塊りを燃え上がらせた。~良家の子らよ、実に、この二人の若者は、このような神通力による奇蹟を用いて、自分たちの父である妙荘厳王を教化したのである。』」

 雲雷音宿王華智如来に帰依する浄蔵と浄眼の二人の若者は、父王である妙荘厳王へ出家の許しを得るために、如来によってのみなすことが許されている奇蹟を彼に見せた。そして、その奇蹟によってすっかり教化された妙荘厳王は、彼らと浄徳王妃、数多くの家来とともに、出家することになる。

「ターラ(多羅)樹の七倍の高さ」という表現は、薬王菩薩本事品(P.196)や妙音菩薩品(P.214)にも見られるが、”7次元を超えた存在レベル”という意味である。

 ”奇蹟”の例えは良くわからないが、前章(観世音菩薩普門品)の「”(一切は)幻のごとし”という三昧」(P.234)のような、衆生が見るあらゆる事象は幻影にすぎないことを理解させるようなものではなかろうか。

 

P.242-243

・「『『母上、父上、どうぞ、お出でください。私たちはみな一緒につれだってまいりましょう。~かの世尊〔雲雷音宿王華智如来〕のもとにおたずねしましょう。それはなぜかといいますと、母上、父上、如来の出現はウドゥンバラの花のようにまれであって、それは大海に漂流する軛(くびき)の穴に(たまたま浮かび上がった)亀の頭がすっぽりはいる(ばあいの)よう(にまれ)だからです。』』」

 この箇所の”(盲目の)亀の例え(盲亀浮木(もうきふぼく)の喩え)”は、人間に生まれてくること、さらに、人間として生まれ如来に会うことの確率的な困難さを示すものとして非常に有名である。この『法華経』の他にも、『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』、『涅槃経』、『大智度論』などで見られる(植木雅俊、『法華経とは何か その思想と背景』、中公新書 P.251-252参照)。

 

P.244-245

・「『良家の子らよ、それから、かの妙荘厳王はその八万四千年が経過したあと、”あらゆる功徳の飾りの光輝(一切浄功徳荘厳)”という三昧を獲得した。その三昧を獲得するやいなや、そのとき、彼はちょうどターラ樹の七倍の高さにまで、空中に登った。』」

 ここで、再び「ターラ樹の七倍の高さ」という表現が出てくるが、要するに、7次元の存在レベルを超えた、端的にいえば、解脱したということであろう。

 「八万四千年」という(”正しい教えの白蓮”という法門を理解するのに要した)修行期間は、実質、永遠にも近い大変長いものであるが、これは、”永遠にも思える大変長い期間”という心理的な時間の長さとも読めるし、無数に転生を繰り返したとも読めるが、真意は不明である。

 

P.245-246

・「『『世尊〔雲雷音宿王華智如来〕よ、この私の二人の息子は(私の)師なのです。~世尊よ、これら二人の若者は私の善友であって、(彼らは、私が)過去の善根を思い起こすために、息子の姿をとって私の家に生まれたのです』』」

・「『『大王〔妙荘厳王〕よ、それはそのとおりである。お前が述べたとおりである。大王よ、良家の息子や良家の娘たちで善根を備えているのもならば、(輪廻の)生存の境遇に生死するいかなる場所に生をうけようとも、彼らにとっては、この上ない正しい菩提へ(の道を)教え、悟入させ、成熟させてくれ、そして師(仏陀)を助けるつとめを行なう善友にめぐり合うということは容易なのである。大王よ、如来に会うように励まし促すものこそが善友として考えられるという、このことは、まことに広大な道理(大因縁)なのである。』』」

 ここで、妙荘厳王が、過去世でも修行を重ね、善根を積み重ねていたことが明かされる。だからこそ、浄徳、浄蔵、浄眼という”善友”が現れ、誤った見解から連れ戻し、再び仏陀への道を歩むように導いてくれたというのである。”善友”は、スピリチュアル的にいえば、”ソウルメイト”のようなものであろうか。

 ところで、”善友”たちの”因縁”については、実は、化城喩品でも述べられている。釈迦は過去世において、大通智勝如来の実子でもある16人の菩薩のうちの一人として、数多くの衆生たちに教えを説いていたのであるが、この菩薩と衆生の”縁”は生死を超えて続いたという。衆生たちは、生まれ変わる旅に、その生で釈迦の過去世の教えを受けていたのである。本章における妙荘厳王と彼の妻子との”縁”は、その一つの具体例といえるものかもしれない。

 また、浄徳、浄蔵、浄眼が妃や王子として妙荘厳王を教え導くさまは、妙音菩薩があらゆる姿形で衆生たちに教えを説くことと重なる。彼らもまた、”妙音菩薩”であるといえる。

 

P.247

・「『彼〔妙荘厳王〕は、〜雲雷音宿王華智如来の両足を頭にいだいて礼拝し、中空に(登って)とどまった。それから、かの妙荘厳王とかの浄徳王妃とは、幾百・千(金)に値する真珠の首飾りを、世尊の頭上高く中空に投げかけた。その真珠の首飾りが投げかけられるやいなや、真珠の首飾りはかの世尊の頭上で、~華麗な楼閣となった。その楼閣のなかに幾百・千もの~台座があらわれ、その台座の上に結跏趺坐した如来の姿が見られた。』」

「幾百・千(金)に値する真珠の首飾り」は、妙音菩薩品と観世音菩薩普門品にも見られるが、これを持つ者の”三千世界のすべて”という意味合いがある。

 妙荘厳王と浄徳王妃が、その真珠の首飾りを雲雷音宿王華智如来の頭上に投げかけると、楼閣と多数の如来が現れるのだが、この楼閣と如来たちは、それぞれ多宝塔と多宝如来の別の言い方であろう。

 要するに、妙荘厳王らの三千世界のすべてに多宝塔と多宝如来が現れた(11次元的な”真空”とつながった)ということである。

 

P.248

・「『『比丘たちよ、実にこの妙荘厳王は私の教誡のもとで比丘の身になったのち、”広いひろがりをもつ(大光)”という世界において、”シャーラ樹の主の王(娑羅樹王)”と呼ばれる、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来として、この世にあらわれるであろう。』』」

 妙荘厳王に対する授記。妙荘厳王の未来世が華徳菩薩であることから、華徳菩薩は過去世において授記を受けていたということになる。

 ところで、華徳菩薩は、過去世においては、3人の”善友”により仏法に導かれ、現世では、”妙音”とは何か、すなわち、存在とは何かを如来に問うわけであるが、これは、存在の一般法則として、”授記にいたるまでは”縁に導かれ、授記を得てからは”問い”に導かれる”ということができるかもしれない。

 他方、小宮氏は、自らが解説する動画の視聴者に、”この動画を見ている、法華経について学び始めたあなたは華徳菩薩です”と語りかけており、とくに授記を”華徳菩薩”であることの条件だとは考えていないようである。むしろ、”縁”により、自らのYoutube動画に導かれたことを重要視しているようである。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、自己探求家。 現在、小宮光二氏のYoutubeメンバーシップにて、新仏教理論を学んでいます。

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