法華経の注釈集 勧持品(2022.5.22一部修正)

(とくに記載がない場合、ページは『中公文庫 大乗仏典5 法華経Ⅱ』による。)

 

P.53

・「そのとき、”薬の王(薬王)”菩薩大士と”大きな弁才のある(大楽説(だいぎょうせつ))”菩薩大士は、従者である二百万の菩薩とともに如来のおん前にいたが、次のような(誓いの)ことばを申し上げた。

『どうか、世尊はこの(教えの)ことで御心を煩わせないでください。世尊よ、如来が完全な涅槃におはいりになったあとでは、私どもがこの法門を衆生たちに説いて明らかにするでしょう。~』」

菩薩たちの法華経を広めるという誓いの言葉である。前章に提婆達多品があることで、やや分かりにくくなっているが、見宝塔品の「お前たちの中で、法華経を説き明かすことに努めるものはだれか」(P.34)という釈迦の問いかけに応じて答えられたものである。

このサハー世界の衆生たちは、欺瞞的で不善根であり、教化しがたいが、それでも「不惜身命」の思いで、忍耐強く法華経を説き広めるとの決意を表明している。

 

P.54

・「そのとき、その集会にいた学習中のもの(学)とすでに学習を完了した(無学)比丘たちのなかの、ちょうど五百人の比丘たちが、世尊に次のように申し上げた。

『世尊よ、私どももこの法門を説きひろめることに努めましょう。ただし、世尊よ、(このサハー世界以外の)他の世界においてではありますが』」

・「すると、世尊の弟子(声聞)で、世尊によってこの上ない正しい菩提にいたるであろうという予言を授けられたほどの八千の比丘たちは、学習中のものも学習を完了したものも、~世尊に次のように申し上げた。

『どうか、世尊は御心を煩わせないでください。如来が完全な涅槃におはいりになったのちの時代、のちの時節に、私どももこの法門を説きひろめるでしょう。ただし、他の諸世界においてではありますが。~』」

比丘・声聞たちの法華経を広めるという誓いの言葉である。上述した菩薩たちの誓願とは対照的に、「このサハー世界以外で」という”条件付き”の誓いであるが、この”条件”は何を意味するのであろうか。

この点は、小宮氏が解説を寄せた『真訳 法華経』では、「このサハー世界は、お釈迦様の創造した世界なので、彼らは彼らの世界を創造して、そこで説き広めるということです。」と説明されている(同書 P.148)。

ところで、「このサハー世界」を「あらゆる3次元世界」と読んだ場合には、以下のような解釈も成り立ちうる。

すなわち、このサハー世界の衆生たちは「高慢で、善根に乏しく、いつも悪意をいだき、欺瞞的で、生来心のひねくれたものたち」(この後の文章より)であるので、このサハー世界で説き広めることをためらっているとも読める。この場合、比丘・声聞たちには、まだ、上記の菩薩たちのような「不惜身命」の決意はみられない。

この後、この比丘・声聞たちの心境がどう変わっていくかが、この法華経という物語のひとつの見どころである。

 

・マハー・プラジャーパティー・ガウタミー(摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)・憍曇弥(きょうどんみ))

釈迦の叔母にあたる人物。釈迦の生母(摩耶夫人)が生後まもなく亡くなったため、その後、釈迦の”育ての親”となる。のちにさとりを開いた釈迦の弟子となる。

 

P.55-56

・「『ガウタミーよ、あなたは『この上ない正しい菩提にいたるであろう、と私の名をあげて、予言していただけなかった』と考えて、落胆し立ったままで如来を見つめているのはどうしてですか。しかしながら、ガウタミーよ、実際のところ、あなたはすべてに会衆に与えられる予言によって、すでに予言を受けているのですよ。』」

・「『でも、ガウタミーよ、実に、あなたはこの(如来である私)をはじめとして、三百八十万・コーティ・ナユタもの仏陀のもとで恭敬を行ない、~説法者としての菩薩大士となるでしょう。これら六千の比丘尼たちもまた、~あなたと一緒に、~説法者としての菩薩となるでしょう。』」

・「『さらに、そののちに、あなたは菩薩の修行を完成して、”あらゆる衆生がまみえて喜ぶ(一切衆生喜見)”という名の、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来として、この世にあらわれるでしょう。』」

・「『その正しいさとりを得た尊敬さるべき一切衆生喜見如来は、かの六千の菩薩たちに対して、一人ずつ順に与える予言によって、この上ない正しい菩提にいたるであろうと予言するでしょう』」

ガウタミーに対する授記。法師品においても、提婆達多品においても、女性が授記を受けることが明らかにされていなかったが、ここではじめて明記されたことになる。

もちろん、法師品の”すべての生きとし生けるものに対する授記”を合理的に解釈すれば女性も当然含まれることになるのだが、後世において、反対論者が解釈を曲げることをおそれて、法華経の編纂者が注意的に記載したと考えられる。

提婆達多品、勧持品、安楽行品の3つの章については、法師品と従地涌出品の間に挿入されたものであると小宮氏は語っているが、この女性への授記が注意的に記載されたものであるとするならば、それを裏付けるものとなるであろう(ちなみに、少なくとも提婆達多品が後から挿入されたものであることは、学術界においても認められている)。

また、6,000人の比丘尼たちとともに、ガウタミーが釈迦をはじめとした数多くの如来たちのもとで”菩薩として”修行すると予言していることから、女性の菩薩の存在を明記していることになる。

ところで、「一切衆生喜見如来」となったガウタミーが6,000人の比丘尼であった菩薩たちに「一人ずつ順に与える予言」によって将来如来となると予言しているが、この授記によって、6,000人の比丘尼たちは法師品の”すべての衆生たちへの授記”から数えて3回目の授記を受けることになる。おそらく、この3回目の授記はプルーナやカウンディヌヤたちへの授記と同様の”方便としての授記”になるであろう(「法華経の注釈集 五百弟子受記品」参照)。

 

P.56

・ヤショーダラー(耶輪陀羅(やしゅだら))比丘尼

釈迦の出家前の妃であった人物。ラーフラの生母。

 

・「『ヤショーダラーよ、私はお前に告げよう。そしてわからせてあげよう。お前もまた、~説法者としての菩薩となるであろう。そして、やがてついに菩薩の修行を完成して、”吉祥な”という世界(善国)において、”百・千の光明に持たされた旗をもつ(具足千万光相)”という名の正しいさとりを得た尊敬さるべき如来として、この世にあらわれるであろう。~』」

ヤショーダラーに対する授記であるが、この後に彼女の4,000人の従者も自分たちにも授記が与えられたと歓喜しているので、その4,000人に対する授記でもあると考えられる。こちらも上記のガウタミーらの授記と同様に、女性も授記を受けることができる(すなわち、仏陀になることができる)ことを明記したものである。

ところで、ガウタミーやヤショーダラーが仏陀となった世界は11次元ないし12次元を象徴していると小宮氏は語っている(Youtube動画「12人の弟子達に対する授記!」参照)。その理由は明言されていないが、「具足千万光明如来」(ヤショーダラー)の寿命が無量であることが一つの根拠であろう(「一切衆生喜見如来」(ガウタミー)の寿命についての記載はないが、ガウタミーの6,000人の従者とヤショーダラーの4,000人の従者がともに歓喜したとして同列に語られていることから、「一切衆生喜見如来」の寿命も同じく無量ではないかと考えられる)。

 

P.57

・「そのとき、その比丘尼たちはこの詩頌を述べてから次のように申し上げた。

『世尊よ、私どもも、のちの時代、のちの時節に、この法門を説きひろめることに努力いたします。ただし、他の諸世界においてではありますが』」

ガウタミーとヤショーダラーとその従者である比丘尼たちの誓いの言葉。P.54の比丘たちの誓願と同様に、このサハー世界以外で、という条件付きの誓願であり、様々な困難を耐え忍ぶという決意はまだ固まっていない。

 

P.57-58

・「そのとき世尊は、八百万・コーティ・ナユタもの菩薩たちのいるところに眼を向けられた。(それらの)菩薩は(みな)ダーラニーを得て、不退転の教えの輪を転ずるものであったが、そのとき、世尊に見つめられるやいなや、~次のように考えた。

『世尊は私たちに、この法門を説きひろめるようにと求めておられる』

 そこで、こう思いいたると、彼らは動揺して、互いに言い合った。

『良家の子らよ、世尊は(私たちに)未来世においてこの法門を説きひろめるようにと求めておいでですが、私たちはどのようにしたらよいでしょう』

 そのとき、それら良家の子たちは、世尊に対する尊敬心から、またみずからにも(菩薩としての)過去の修行や誓願があることによって、世尊のほうに向かって(誓いのことばを)獅子吼(ししく)した。

『世尊よ、如来が完全な涅槃におはいりになったのち、未来世において、私どもは十方(の世界)に赴き、世尊ご自身の威神力(の助け)をかりて、この法門をすべての衆生たちに書写させ、読誦させ、考察させ、説きひろめさせるでしょう。どうか、世尊は他の世界にいまして、私どもを見守り、庇護し、防護したまわんことを』」

この章の冒頭に登場した、薬王菩薩と大楽説菩薩たち以外の”初級レベル”の菩薩たちの誓願の場面。彼らの心のゆらぎが読み取れて面白い。彼らは「不退転の教えの輪を転ずるもの」であることから、過去世で授記を受けた”スーパー大菩薩”の段階にはあるのだが、誓願には戸惑いがみられ、迷いのない薬王菩薩らの誓願とは大きく異なる。これは過去世での誓願の自覚の違いが大きく影響しているのではないかと思う。彼らは弥勒菩薩と同等レベルではないだろうか(つまり、宇宙の始まりについて考える素質はある)。

また、意を決して法華経を説き広めることを「獅子吼」するが、「世尊ご自身の威神力(の助け)をかりて」とか、「どうか、世尊は他の世界にいまして、私どもを見守り、庇護し、防護したまわんことを」という言葉に、どことなく自信の無さが表れている。ここも、彼らの心境をうまく表しているように思える。

 

P.58-61

・「世尊よ、あなたは御心を煩わせないでください。あなたが完全な涅槃におはいりになったとき、きわめて恐ろしいのちの時代(悪世)に、私どもはこの最高の経典を説きひろめましょう。

指導者よ、私たちは愚か者たちに罵られようとも、威嚇(いかく)されようとも、棒きれを振る舞わされる(ような目にあいましょう)とも、それらを耐え忍びましょう。~」

法師品の「土くれや棒、あるいは槍、または非難や脅迫がふりかかる~」と同様の記載であるが、この後の詩句の記載のほうがより具体的である。

前出の仏教学者の植木氏は、このような迫害は、修行者の最高位は阿羅漢であるとする小乗教団のなかで、法華経的な、誰もが仏陀となることができるという教えを信奉していた者たちに実際に降りかかっていたと予想している。すなわち、集会でわざと座席を与えられなかったり、精舎から追い出されたり、『こいつらは、ブッダになるんだってよ』と皮肉を言って嗤われたりしたのだというのである(『法華経とは何か その思想と背景』、中公新書 P.180-182参照)。この勧持品で弟子たちが口ぐちに語る、サハー世界での困難についての恐れが、次章の安楽行品につながってゆく。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、自己探求家。 現在、小宮光二氏のYoutubeメンバーシップにて、新仏教理論を学んでいます。

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