法華経の注釈集 妙音菩薩品(再作成版 その3)

(とくに記載がない場合、ページは『中公文庫 大乗仏典5 法華経Ⅱ』による。)

P.217

・華徳菩薩

 前章(薬王菩薩本事品)における宿王華菩薩と同じく、法華経の読者の投影である。この後の章の妙荘厳王本事品の妙荘厳王は、この華徳菩薩の過去世の姿であるが、詳しくは別途詳述したい。

 本章の後半は、華徳菩薩の問いかけに対する、釈迦の答えが中心となるが、この華徳菩薩の問いが無ければ”ビッグバン”は始まらないといえ、さとりに直結するこの問いもまた、宿王華菩薩の問いと同様に、”華”といえるのである。

 

・雲雷王如来

 漢文では「雲雷音王仏」(岩波 下 P.228)。雷音のような偉大な教え(法華経)を説く仏という意味。あるいは、そのような如来の象徴。妙音菩薩のはるか過去世での師であるが、妙音菩薩と同じように、具体的なある如来というよりは、”あらゆる如来”を意味している。

 

・現一切世間

 上記の雲雷王如来と同様に、具体的なある世界ではなく、”あらゆる(三千)世界”を意味している。

 

・「『ところで、良家の子よ、その正しいさとりを得た尊敬さるべき世尊の雲雷王如来に対して、妙音菩薩大士は幾百・千もの楽器を奏でて、百二十万年供養を行なった。また八万四千個の七宝よりなる器を献上したのである。』」

 数々の如来に対して、(修行をした)ということ。「幾百・千もの楽器を奏でて、百二十万年供養を行なった」とは、無限の間、法華経を学び、説き広めたということ(薬王菩薩の過去世での修行期間の100倍となっている点が興味深い。P.193参照)。

 また、「八万四千個の七宝よりなる器」とは”無限の三千世界”という意味である。この「無限の三千世界」を献上できるということは、すでに「四方八方の無限に生まれ変わることができる三千世界を得」ているということを意味する(前掲 『真訳 法華経』 P.228参照)。

 

・「『良家の子よ、その雲雷王如来の説法のもとで、妙音菩薩大士はこのような栄光に到達したのである。』」

 数々の如来の説法を聞いて、今のレベルにまで菩薩行を完成に近づけたということ。「このような栄光」とは、釈迦の”虚空会”に参加し、法華経を学び広める栄誉のことである。

 

P.218

・「『良家の子よ、このように、妙音菩薩大士は多くの仏陀に仕え、幾百・千もの多くの仏陀のもとで善根を植えて、仏陀となる準備を行なったものである。』」

 上記と同趣旨。”菩薩行”とは仏となる準備といえる。

 

・「『ところで、華徳よ、この妙音菩薩大士は、多くの姿形で、この”正しい教えの白蓮”という法門を説いたのである。』」

 ここからは、現一切色身三昧の具体例となる。通常人の想像力の限界(三千世界)を超えた範囲(阿僧祇世界)で自ら転生する際の出生の境遇を選べるということである(すなわち、人格(人間の場合)にとらわれず、全く別の存在になれるということである。)

 

・「『すなわち、あるばあいにはブラフマー神(梵王)の姿で、あるばあいにはルドゥラの姿で、あるばあいには、シャクラ(帝釈)の姿で、あるばあいにはイーシュヴァラ(自在天)の姿で、あるばあいには、セーナーパティ(天大将軍)の姿で、あるばあいには、ヴァイシュラヴァナ(毘沙門天王)の姿で、』」

 これ以降、様々な存在を例示し、妙音菩薩がありとあらゆる衆生に教えを説いたことが語られているが、ここで挙げられている神々は6~7次元的な存在の象徴であると考えられる。ちなみに、「ルドゥラ」は暴風雨をつかさどる神である(P.287参照)。

 

・「『~あるばあいには転輪王の姿で、あるばあいには城主の姿で、あるばあいには、隊商の長の姿で、あるばあいには家長の姿で、あるばあいには町の人の姿で、あるばあいにはバラモンの姿で、この”正しい教えの白蓮”という法門を説いた。』」

・「『~あるばあいには比丘の姿で、あるばあいには比丘尼の姿で、あるばあいには、信男の姿で、あるばあいには信女の姿で、~』」

・「~『あるばあいには商隊長の妻の姿で、あるばあいには家長の妻の姿で、あるばあいには町の人の妻の姿で、あるばあいには男の子の姿で、あるばあいには女の子の姿で、妙音菩薩大士は、この”正しい教えの白蓮”という法門を衆生たちに説いた。』」

 ここで挙げられている様々な人間たちは、5次元的な存在の象徴である(一般の善良な人間の精神次元は5次元的であるといえる)。

 

・「『さらに、ある人々にはヤクシャの姿で、妙音菩薩大士は、この”正しい教えの白蓮”という法門を衆生たちに説いた。』」

・「『ある人々にはアスラの姿で、ある人々にはガルダの姿で、ある人々にはキンナラの姿で、ある人々にはマホーラガの姿で、妙音菩薩大士は、この”正しい教えの白蓮”という法門を衆生たちに説いた。』」

 ここで挙げられている想像上の生き物たちは、”あの世”的な存在の象徴である。人間と同列に語られているように読めるので、これらの生き物も5次元的な存在であろうか。

 すでに上述した神々も含め、人間も”あの世”的な存在も同じように語られているあたりは、五百弟子受記品の「神々も人間を見、人間も神々を見る」(上 P.239)ような、3次元とそれ以上の次元が混ざりあったような世界観を描いているのであろう。スピリチュアル的な言い方をするとすれば、「アセンションした世界」ということになろうか。

 

・「『さらに、地獄、畜生道、ヤマの世界や不幸な世界(難処)に生まれた衆生たちにまでも、妙音菩薩大士は、この”正しい教えの白蓮”という法門を説き、(彼らの)救済者となる。』」

 ここで挙げられている存在は、4次元以下の存在の象徴である。教えが届かない”無間地獄”の衆生たちや、一闡提(いっせんだい、仏法を全く信じない者たち)を除いては、妙音菩薩があらゆる衆生たちに教えを説くことが表されている。

 

・「『はては、後宮のまんなかにいる衆生たちにまでも、妙音菩薩大士は、女性の姿を化作して、この”正しい教えの白蓮”という法門を(その)衆生たちに説いた。』」

 ここの例示の意図は不明だが、妙音菩薩は、一見、仏法とは縁遠い場所でも教えを説くということであろう。

 

・「『(このようにして)このサハー世界にいる(すべての)衆生たちに彼は教えを説いたので、華徳よ、実に、妙音菩薩大士は、サハー世界に生まれた衆生たちのとっての救済者なのである。』」

 この箇所は、岩波版では「『このサハー世界にいるものたちにも、教えを説いた。しかもパドマ=シュリー〔華徳〕よ、偉大な志を持つ求法者ガドガダ=スヴァラ〔妙音〕は、サハー世界に生まれたものたちの救済者なのである。』」となっている。

 ここは、私たちの住むこの現実の3次元世界(実際は4~7次元と重なっている)でも、釈迦入滅後の2,500年の間、妙音菩薩のような様々な存在が教えを説いてきたことを表している。

 

P.220

・「『またまさに、そのサハー世界において、その妙音菩薩大士は、これほど多くの姿を化作して、この”正しい教えの白蓮”という法門を衆生たちに説くのである。』」

 4~7次元では、同じような精神次元レベルの者たちがグループを形成しているため、仏法に耳を傾ける者は限られている。様々な存在が物質世界で肉体をもち、言語を共有するこの3次元世界でこそ、あらゆる衆生に仏法を説くことができるということである。

 

・「『また、ガンガー河の砂(の数)にも等しい他の世界においても、菩薩によって教化されるべき衆生たちには、菩薩の姿で教えを説く。声聞によって教化されるべき衆生たちには、声聞の姿で教えを説く。独覚によって教化されるべき衆生たちには、独覚の姿で教えを説く。如来によって教化されるべき衆生たちには、如来の姿で教えを説く。』」

・「『さらに、如来の遺骨によって教化されるべき衆生たちには、如来の遺骨を示す。はては、完全な涅槃によって教化されるべき衆生たちには、完全な涅槃にはいった自分を示す。』」

 ここからは妙音菩薩の未来世についての記述である。妙音菩薩は、未来世でも、さらに菩薩、声聞、独覚の姿で教えを説き、さらには如来となり、「完全な涅槃にはいった自分を示す」という未来像が記されている。

 ところで、小宮氏はさらに高度な見方を示している。すなわち、妙音菩薩は如来の言葉そのものであると同時に、存在世界の一切のものであり、”何もない真空”そのものだという。したがって、妙音菩薩とは何であるかを突き詰めると、それは”無生法忍”であるということになるのである。

 

・「実にこのようにして、華徳よ、妙音菩薩大士は知力の獲得にいたるのである。」

 妙音菩薩は現一切色身三昧による転生と修行によって、悟りを深めていくということ。

 妙音菩薩は「全能」ではあるが、まだ「全知」ではない。多宝如来の遺体の”全身”をみることによって、完全な「如来の知」を得るのである。

 

P.221

・「~それはまさしく現一切色身という三昧である。」

 上述した、P.218からの現一切色身三昧の具体例を参照。ちなみに、「色」は物質的現象、「身」はそれがあらわれたものぐらいの意味。

 なお、「現一切色身三昧」と「ビッグバン」は、厳密にいえば、完全に同意ではない。

「ビッグバン」は生まれる環境の創造であり、「現一切色身三昧」はその環境での出生である。いわば、前者は舞台設定であり、後者はキャラクター設定である。

 

・「ところで、この「妙音」の章が説かれている間に、妙音菩薩大士とともに、このサハー世界にやってきた~菩薩たちが、すべて現一切色身という三昧を獲得した。そしてこのサハー世界における~(多数の)菩薩大士たちも現一切色身という三昧を獲得したのである。」

「妙音菩薩品」を読者として読んだ菩薩たちが、現一切色身三昧を獲得ということ。また、釈迦のサハー世界で「妙音」の章を直接聞いた当時の菩薩たちの多くもこの三昧を得たということ。

 

・「~幾百・千・コーティ・ナユタもの楽器を演奏させて~」

 「妙音」(無限の音にならない音)を象徴する表現。

 

・「世尊よ、私はサハー世界にいる衆生たちに利益をなしました。」

サハー世界での釈迦の説法により、妙音菩薩(来世で如来となるべき菩薩)が何であるか、何をするのかを、衆生に示したということ。

 

・「そして~多宝如来の遺骨を納めたストゥパを拝見し、礼拝もいたしました。」

多宝如来と多宝塔が何であるかを理解したということ。逆にいえば、これが完全にできる者は、妙音菩薩(来世に如来となる者)ということである。

 

P.222

・「~かのマンジュシリー法王子にも会い、~」

 すでに上述したが、釈迦の説く法華経を聞いたということ。

 

・「かの八百四十万・コーティ・ナユタもの菩薩たちは現一切色身という三昧を獲得したのであります」

 上記の「ところで、この「妙音」の章が説かれている間に、~」の註を参照のこと。

 

・無生法忍(認)

 「法華経を読み解くキーワード集 11.無生法認(忍)」を参照のこと。

 

・「また華徳菩薩大士は、”正しい教えの白蓮”という三昧を獲得した。」

 ”正しい教えの白蓮”という三昧(法華三昧)とは、いくら転生しても、法華経以外の経典に反応しなくなる(興味を示さなくなる)という状態である。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、自己探求家。 現在、小宮光二氏のYoutubeメンバーシップにて、新仏教理論を学んでいます。

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