法華経の注釈集 妙音菩薩品(再作成版 その2)

(とくに記載がない場合、ページは『中公文庫 大乗仏典5 法華経Ⅱ』による。)

P.212

・「さて、妙音菩薩大士は、そのとき、その仏陀の国土から出かけず、その席から立ち上がらないままで、そのような三昧にはいった。」

 時系列的には整合しないが、妙音菩薩が”ビッグバン”を起こして、3次元世界に肉体を持つということ。”ビッグバン”を起こす前は”何もない真空”(という精神状態)であり、時空という概念がないため、「その席から立ち上がらないままで」という表現となっている。

 

・「その三昧に妙音菩薩がはいるやいなや、まず、このサハー世界のグリドラクータ山における、かの如来の法座の前に、八百四十万コーティ・ナユタもの蓮華が出現した。それらは、金の茎と銀の葉をし、パドマやキンシュカのうてなをしていた。」

 妙音菩薩とその供である「八百四十万・コーティ・ナユタもの菩薩たち」が法華経を開き、物語の中の”虚空会”に参加して釈迦の教えを聞く準備が整ったということ。

 ちなみに「パドマ」は紅蓮華のこと。「キンシュカ(キンスカ)」も花の名前であり、藤のように垂れ下がり、赤い色をしている。また、後者は古来宝石の一種と考えられている(P.287参照)。仏教説話の「キンスカの喩え」は有名である。

 「うてな」は漢字では”台”と記す。菩薩たちが結跏趺坐するための席のことであろう。なお、チベット語訳では「芯」となっているようである(P.287参照)。

 

・「『マンジュシリーよ、~妙音菩薩大士が八百四十万・コーティ・ナユタもの菩薩たちに囲まれ、崇められて、このサハー世界へ、~この「正しい教えの白蓮」という法門を聞くためにやってくるのである。』」

 妙音菩薩が、無限の菩薩たちとともに、釈迦の思考のなかにあるサハー世界に現れるということである。

 ここでの「無限の菩薩たち」には二つの意味があると考える。一つは東方の無限の仏国土に住む、妙音菩薩と同じような立場の菩薩たちのことであり、見宝塔品の未来仏の従者である菩薩たちと同じような存在、という意味である。現実的には、様々な3次元世界で、如来の教説により法華経(妙音菩薩品)を読む菩薩たちのことである。

 もう一つは、妙音菩薩を見る無数の”観衆”という意味である。釈迦が妙音菩薩を認識することにより、法華経に記載され、未来仏たちの無限の仏国土に妙音菩薩が知られるようになり、無数の菩薩たちが物語の中の妙音菩薩に自己を投影する、ということである。

 

P.213

・「『世尊よ、その良家の子は、善(根)を集め、積み重ねたからこそ、このようなすばらしい性質を獲得したのでありましょうが、そもそも彼はどのような善(根)を集めたのでしょうか。』」

 マンジュシリー法王子から釈迦に対する問いであるが、ここでの「善(根)」とは、法華経の教えを学び広めるという誓いと、3次元世界でのその誓いの実行のことである。この「善(根)」を積み重ねることこそが、如来となる修行に他ならない。

 

・「『また、世尊よ、その菩薩は、いかなる三昧において修行するのでありましょうか。』」

 ここでの「いかなる三昧」の答えは、この後の部分で詳述されているが、あらゆる世界に姿形で転生し、教えを広める「現一切色身という三昧」である。いわば、「ビッグバン三昧」である。

 

・「『私たちはその三昧についてお聞きしたいのであります。そして、世尊よ、私たちはその三昧において修行したいのであります。』」

 この箇所は、マンジュシリー法王子の発言なのであるが、「私たち」と複数形になっているところがポイントである。この「私たち」は、マンジュシリー法王子だけでなく、”すべての菩薩たち”という意味が含まれている。すべての菩薩たち、すなわち、後の入滅したすべての如来である”多宝如来”が聞きたいと言っているのである。

 

・「『どうか如来は(彼(妙音)に)合図を送ってください。~』」

 釈迦に、思考により妙音菩薩を出現させてください、という、文殊菩薩からのお願い。妙音菩薩からみれば、法華経に呼ばれるということ。小宮氏によれば、妙音菩薩のような、過去世において授記を得た菩薩は、一見、自らの意思で法華経を紐解いているように見えるかもしれないが、実は、過去世での善根によって、法華経に選ばれ、引き寄せられているという。

 

・「そのとき、~シャーキア・ムニ如来は、~多宝如来に次のように言われた。『妙音菩薩大士がこのサハー世界にやってくるような合図を、世尊はお送りください』~」

 妙音菩薩の真我(=多宝如来)にはたらきかけ、釈迦のサハー世界にやってきて法華経を聞くようにと、訴えかけているということ。

 

P.214

・「『良家の子よ、このサハー世界にやってきなさい。マンジュシリー法王子が、お前に会いたく思っている』」

 多宝如来(すなわち、11次元的は”真我”)の妙音菩薩への呼びかけ。マンジュシリー法王子(文殊菩薩)は、”珠玉の文字”、すなわち法華経の象徴である。その法華経、言い換えれば、”如来の第5の教え”が妙音菩薩にまみえ、彼のことを自らに記憶したがっているのである。

 遠い過去世の法華経が遥か未来世の自らの読者である妙音菩薩を記録したがっているというのは、「卵が先か、ニワトリが先か」という問題にも似ており、3次元世界の時系列的な見方では理解し難い。

 この点は筆者も感覚的に良く分かっておらず、私見になるが、ここでは時間の概念を超えた見方が必要であろう。すなわち、釈迦は異世界の妙音菩薩を自らの認識の世界に呼び寄せ、教えとして言葉にする(その言葉が法華経となる)のだが、妙音菩薩は、同時にその言葉を見ているとみるのである。つまり、2500年前の釈迦のサハー世界と、妙音菩薩の世界は、実は同時に存在し、互いにシンクロしており、原因と結果が同時に存在しているということである。

 

・「そのとき、妙音菩薩大士は、~八百四十万・コーティ・ナユタもの菩薩たちにかこまれ、このサハー世界にやってきた。」

P.211の「~あのサハー世界へまいりましょう。」と同じような意味。

 

・ナーラーヤナ(那羅延)

 ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の異名(P.287参照)。

 

・「~七宝よりなる楼閣に登って、空中のターラ樹の七倍の高さのところを~やってきた」

 「妙音菩薩は七次元以上の存在・次元を超えた存在だということ」(奥平亜美衣、小宮光二、『真訳 法華経』、廣済堂出版、P.226)。

 ちなみに、「七宝よりなる楼閣に登って」は、『梵漢和対照・現代語訳 法華経(植木雅俊訳 岩波書店)』では、「七宝で造られた楼閣に乗って」となっている(同書 下 P.473)。

 また、見宝塔品の、未来仏たちが座る「宝樹の根もとにある獅子座」(P.28)の高さとの違いに注意すべきである。「空中のターラ樹の七倍の高さ」は約49~70mであり、他方、見宝塔品の獅子座の高さは「五百ヨージャナ」(P.28)、すなわち約6,400kmとなる。具体的数量の意味は薄いが、この高さの違いは、仏と菩薩の認識できる無限の幅の違いということだろう。

 

・真珠の首飾り

 無限の平行宇宙(三千世界)の象徴。各々の真珠が光沢により、となりあう真珠を移しているさまは、個々の平行宇宙が互いに繋がっていることを意味している。この「真珠の首飾り」を如来に献上するとは、自らのすべての平行宇宙において如来に帰依するということである。

 

P.215

・「『『(また、)(シャーキア・ムニ)世尊よ、正しいさとりを得た尊敬さるべき多宝如来は、~このサハー世界にやってこられて、七宝よりなるストゥパの中央に坐っておられるでありましょうか』』」(浄華宿王智如来の問いかけとして)

未来仏が、釈迦に、釈迦のサハー世界の虚空会(教えの会合)に多宝如来(真空とすべての過去仏(全情報))が現れているのか、と問いかけているということ。

 

P.216

・「『世尊よ、私たち(妙音菩薩と同伴の菩薩たち)もまた、~多宝如来のご遺体全体を拝見したいものであります。~どうか(シャーキア・ムニ)如来はお見せくださいますように』」

「多宝如来のご遺体全体」とは、見宝塔品の「完全な一体のまま(全身)で安置され」た「如来の身体」(P.23)と同義である。すなわち、すべての過去仏、すなわち全存在世界の全情報、最大の「無」を表している。

 また、妙音菩薩と供である無限の菩薩たちは、釈迦の教えにより(実際には、師である浄華宿王智如来の法華経の説法を介して)、「多宝如来のご遺体全体」とは何かを理解したいと望んでいるといえる。なぜなら、それが何かを理解すれば、次の一生で如来となることができるといっても過言ではないからである。

 

・「『いかにも結構である~実にお前が、(私と)~シャーキア・ムニ如来にお会いしたいと思って、また、この”正しい教えの白蓮”という法門を聞くために、また、マンジュシリー法王子に会うために、(ここに)やってきたとは』」

 多宝如来の賞賛の声であるが、未来の妙音菩薩自身を含めた、すべての如来が妙音菩薩をほめたたえているともいえる。また、多宝如来は妙音菩薩たちの共通の真我であるが、その真我が法華経を聞いて、自らが「何もないこと」を認識できることを喜んでいるということでもあるともいえる。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、自己探求家。 現在、小宮光二氏のYoutubeメンバーシップにて、新仏教理論を学んでいます。

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