(とくに記載がない場合、ページは『中公文庫 大乗仏典5 法華経Ⅱ』による。)
P.209
・妙音菩薩
この章の主人公であり、すでに幾度も転生を重ねながら法華経を学び広めるという修行を積み、来世において(師である如来の末法に転生して)如来となるレベルにある菩薩。具体的な菩薩というよりは、そのような成長段階にある菩薩の総称である。
ところで、この妙音菩薩が何であるかを考えることはさとりについて理解を勧めるうえで非常に重要である。この妙音菩薩は漢訳であり、サンスクリット語原文では”ガドガダ・スヴァラ”となるが、その意味については長年、学者たちにとって良く分かっていなかったようである。中公版の注釈でも、訳者が悩んだ形跡がうかがえる。「辞書には『どもるもの』あるいは『口ごもるもの』」(P.287)とあるが、あらゆる世界で様々な姿となって教えを説く妙音菩薩のイメージとはかけ離れている。
しかし、ここで、”妙音”を物理学的な意味で”音にならない音、『場』での素粒子の揺らぎ”を表現したものであると解すると、イメージとしてそれほど遠くないように思える。すなわち、物理学的な”何もない真空”、仏教的な”空”、純粋な法則性あるいはその法則性のように無限に生まれる菩薩たちの象徴であるといえよう。
・浄華宿王智如来
具体的な如来名というよりは、未来世において法華経を説く様々な如来の総称である。
ちなみに、この妙音菩薩品では、雲雷王、釈迦、多宝、浄華宿王智の4人の如来が登場するが、全創造世界の誕生(発生)、維持、完成(消滅)のプロセスにおいて、雲雷王が誕生(発生)、釈迦と多宝が維持、浄華宿王智が完成(消滅)を象徴している。
・「さて、正しいさとりを得た尊敬さるべき世尊のシャーキア・ムニ如来は、そのとき、偉大な人物の相(の一つ)である眉間の毛の渦から光明を放たれた。その光明によって、東方にある十八のガンガー河の砂(の数)に等しい幾百・千・コーティ・ナユタもの仏陀の国土が、明るく照らし出された。」
釈迦が東方にあるすべての未来仏の仏国土を叡智の光で認識したということ(東方=未来)。この光は序品(ⅠP.13)と見宝塔品(P.26)と同じものであるといえる。この認識力が”観自在力”である。また、この光によって照らし出された無限の仏国土はすべて釈迦の思考の中にあるということ。
P.210
・「彼〔妙音菩薩〕はすでに善根を植えており、正しいさとりを得た尊敬さるべき多くの如来たちの、このような光明の輝きをかつて見たことがあった。」
※〔 〕は筆者が挿入した。
妙音菩薩は、かつて雲雷王如来(詳しくは後述する)より授記を得ており、数々の如来に仕えて同じような光景を見てきたということ。「光明の輝き」とは、様々な如来のさとり、あるいは法華経のこと。
・17の三昧
ここで、”何もない真空”に”ビッグバン”により内的な仮想世界と、菩薩としての自己のキャラクターを創造するための、17種類の三昧が例示されている。個々の三昧については、以下のとおり表にまとめた。
表記 | 現代的な意味 | |||
中公版 | 岩波(現代語) | 岩波(漢文) | ||
1 | ”幢の先にある腕輪(妙幢相(みょうどうそう))”という三昧 | 旗の尖端にある腕輪 | 妙幢相三昧(みょうどうそうざんまい) | 下記と同じく、如来の”第5の教え(法華経)”に反応する力。 |
2 | ”正しい教えの白蓮(法華)”という三昧 | 正しい教えの白蓮 | 法華三昧(ほっけざんまい) | 如来の”第5の教え(法華経)”に反応する力。 |
3 | ”ヴィマラの授けた(浄徳)”という三昧 | ヴィマラの授与した | 浄徳三昧(じょうとくざんまい) | 清浄無垢な姿となる力か。
”浄徳”は妙荘厳王本事品に登場する、妙荘厳王の妃の名前(P.238参照)。 |
4 | ”星宿の王の遊戯(宿王戯(しゅくおうけ))”という三昧 | 星宿の王(月)の遊戯 | 宿王戯三昧(しゅくおうけざんまい) | 月の運行をつかさどる力か。 |
5 | ”依止(えし)することなき(無縁)”という三昧 | 拠りどころのない | 無縁三昧(むえんざんまい) | 誰にも頼らずとも、修行を究めることができる力か。 |
6 | ”知恵の標識(智印)”という三昧 | 智慧の印章 | 智印三昧(ちいんざんまい) | 過去世において教えを学び、それを広めることを誓った証。 |
7 | ”月の灯”という三昧 | 月光 | (なし) | 月の光をつかさどる力か。
かつては月の光は太陽の光と異質なものとして区別されていたのであろうか。 |
8 | ”あらゆる音声に精通する(解一切(げいっさい)衆生語言)”という三昧 | すべての音声の巧妙さ | 解一切衆生語言三昧(げいっさいしゅうじょうごごんざんまい) | 教えを説く巧妙さ。 |
9 | ”あらゆる福徳の集積(集一切功徳)”という三昧 | すべての福徳の堆積 | 集一切功徳三昧(しゅういっさいくどくざんまい) | 福徳の集積した、(妙音菩薩という)自己の在りよう。 |
10 | ”浄心をもつ女人”という三昧 | 好意ある女 | 清浄三昧(しょうじょうざんまい) | 女性の注目を浴びるようなカリスマ性 |
11 | ”神通力による自由な活躍(神通遊戯(じんつうゆげ))”という三昧 | 神通力の示現 | 神通遊戯三昧(じんつうゆげざんまい) | 知恵により、法華経を読み解くような神通力。 |
12 | 知恵の松明(たいまつ)(慧炬(えこ))”という三昧 | 知恵の松明(たいまつ) | 慧炬三昧えこざんまい) | 輝ける叡智を持つさま。 |
13 | ”飾りの王(荘厳王)という三昧 | 荘厳の王者 | 荘厳王三昧(しょうごんおうざんまい) | 「はっと息をのむような荘厳さ」のイメージから、全く音のない世界を作り出す力か。 |
14 | ”汚れなき光明(浄光明)”という三昧 | 無垢の光明 | 浄光明(じょうこうみょうざんまい) | 濁りのない光明を放ちだすような力か。 |
15 | ”汚れなき胎蔵(浄蔵)”という三昧 | 無垢な胎 | 浄蔵三昧(じょうぞうざんまい) | 清浄な教えの蔵のような記憶のことか。
”浄蔵”は妙荘厳王本事品に登場する、薬王菩薩の過去世での名前(P.238参照)。 |
16 | ”水の遍満”という三昧 | 水の遍満 | 不共三昧(ふぐざんまい) | すべての水をつかさどる力か。 |
17 | 太陽の運行(日旋(にっせん))”という三昧 | 太陽の回転 | 日旋三昧(にっせんざんまい) | 太陽の運行をつかさどる力。 |
・「かの光明は、その妙音菩薩大士の身体を照らした。」
釈迦が叡智の光で妙音菩薩を認識したということ。妙音菩薩の側からみれば、釈迦の法華経が聞こえた(テレパシーのように認識した)ということ。釈迦のサハー世界と妙音菩薩が住む浄光荘厳世界は同時に存在し、融通無碍に繋がっているということを表している。あらゆる世界と釈迦のサハー世界の繋がりについては、如来神力品を参照のこと。
P.211
・「『世尊よ、私は、かの正しいさとりを得た尊敬さるべき世尊のシャーキア・ムニ如来にお会いして敬礼し、お仕えするために、また、かのマンジュシリー法王子に会うために、~あのサハー世界へまいりましょう』」
妙音菩薩が釈迦にまみえ、彼の法華経を聞くために、浄華宿王智如来の仏国土から、釈迦のサハー世界へ行こうとしているということ。マンジュシリー法王子(文殊菩薩)は法華経の象徴である。
釈迦の側からみれば、自らの内的な仮想世界(三千世界)であるサハー世界に妙音菩薩が現れるということ。
・マンジュシリー法王子(文殊菩薩)
すでに上述したが、文殊菩薩は珠玉の文字、すなわち法華経の象徴である。釈迦の認識ないし思考が文殊菩薩を介して「正しい教え」、すなわち法華経となる。
・薬王菩薩
薬(=法華経)を世に広める菩薩。法師品や薬王菩薩本事品などに登場している。
・勇施菩薩
多くの人に勇気の布施(=法華経)を与える菩薩。
・宿王華菩薩
前章の薬王菩薩本事品で、釈迦に「なぜ、薬王菩薩は仏国土から現れ教えを広めるのか」と問うた菩薩。
・”飾りの王(荘厳王)”菩薩
最高に優れた装飾(=法華経?)、あるいは何ものにも勝る威厳を備えた菩薩。
・”薬の王よりあらわれた(薬上)”菩薩
最高の薬である菩薩。次の如来となる菩薩の意味も持つ。
・「『また、かの〜シャーキア・ムニ如来は短軀であり、かの菩薩たちも短軀である。ところが、良家の子よ、お前は四百二十万ヨージョナもの(丈高い)身体を得ている。また、良家の子よ、私は六百八十万ヨージョナもの(丈高い)身体を得ている。』」
釈迦とその弟子であるサハー世界の菩薩たちと、浄華宿王智如来・妙音菩薩の身長の違いにより、それぞれの住む世界で認識できる無限の大きさの違いが表現されている。サハー世界(3次元世界)で認識できる無限は”三千世界”の無限であるのに対し、浄華宿王智如来・妙音菩薩の住む仏国土で認識できる無限は”三千世界”が無限に重なった”三千億土”の無限である。
ちなみに、1ヨージョナは、一説には約8マイル=約12.8kmと言われる(日立ハイテクHPより)。「四百二十万ヨージョナ」や「六百八十万ヨージョナ」は途方もない丈高さとなるが、法華経の大きすぎる数量については固有の意味は薄く、単純に”無限の高さである”と解してよい。
・「『それゆえ、良家の子よ、かのサハー世界へ行って、如来や菩薩たちやその仏陀の国土に対して、劣っているという思いを起こさぬようにしなさい』」
サハー世界は、でこぼこしていて糞尿の溜りで満ちたような、物理的制限ばかりの、一見”劣った”世界である。しかし、言葉によって衆生を教化し、解脱へと導き、法華経を説き広めることができるのがこのサハー世界(3次元世界)なのである。だからこそ、浄華宿王智如来は妙音菩薩に対して「劣っているという思いを起こさぬようにしなさい」と言っているのである。
P.212
・「『世尊よ、如来が命じられるとおりにいたしましょう。世尊よ、私は、如来の加護により、如来の力の獲得により、如来の自由な活躍により、如来の荘厳により、如来のすぐれた知恵により、かのサハー世界に赴くでありましょう』」
この箇所は、見宝塔品の、他の世界からやってきた如来たちの従者である菩薩たちが、如来たちの名代として、多宝塔に派遣される場面(P.31参照)と対応している。現実的には、釈迦入滅後の未来の3次元世界において、ある如来の教説のもとで、釈迦の遺したこの法華経の物語中の”虚空会”に空想によって参加するということになろう。
また、見方によっては、如来が菩薩を教化して、未来世で”ビッグバン”を起こさしめて、様々な3次元世界に派遣しているという意味にも読める。