(とくに記載がない場合、ページは『中公文庫 大乗仏典5 法華経Ⅱ』による。)
P.209
・妙音菩薩
①音にならない音、物理学的な「場」の揺らぎ、真空、仏教的な空、または純粋な法則性の世界の象徴
②来世において如来となることを決心する菩薩(来世に、師である如来の末法に転生する)。
・「眉間の毛の渦から光明を放たれた。」
(釈迦が)叡智の光を放たれたということ。
・「その光明によって~明るく照らし出された。」
(釈迦が)東方にあるすべての未来仏の仏国土を叡智の光で認識したということ(東方=未来)。また、それらの仏国土はすべて釈迦の「法華経」という思考の中にあるということ。この認識力が観自在力。
P.210
・「正しいさとりを得た~このような光明をかつて見たことがあった。」
妙音菩薩は、かつて授記を得ており、数々の如来に仕えて同じような光景を見てきたということ。
・「かの光明は、その妙音菩薩大士の身体を照らした。」
釈迦が叡智の光で妙音菩薩を認識したということ。
P.211
・マンジュシリー法王子(文殊菩薩)
珠玉の文字=法華経の象徴。釈迦の思考が文殊菩薩を介して「正しい教え」となる。
・薬王菩薩
薬(=法華経)を世に広める菩薩
・勇施菩薩
多くの人に勇気の布施(=法華経)を与える菩薩
・宿王華菩薩
釈迦に「なぜ、薬王菩薩は仏国土から現れ教えを広めるのか」と問うた菩薩
・”飾りの王(荘厳王)”菩薩
この世でいちばん恰好のよい飾り(=法華経?)をつける菩薩
・”薬の王よりあらわれた(薬上)”菩薩
最高の薬である菩薩(次の如来となる)
・「~あのサハー世界へまいりましょう。」
釈迦の思考から、同じく釈迦の思考のなかにあるサハー世界に妙音菩薩が現れるということ。
・「かの正しいさとりを得た尊敬されるべきシャーキア・ムニ如来は短軀であり、かの菩薩たちも短軀である。」
三次元世界(サハー世界)の物理的制限により、物質的な肉体を持つ如来も菩薩も短身であるということ。
P.212
・「世尊よ、(シャーキア・ムニ)如来が命ぜられるとおりにいたしましょう。~如来のすぐれた知恵により、かのサハー世界に赴くでありましょう。」
前頁の「~あのサハー世界へまいりましょう。」と同じような意味。
・「かの(シャーキア・ムニ)如来の法座の前に、八百四十万・コーティ・ナユタもの蓮華が出現した。」
東方にある無限の仏国土から妙音菩薩とその他の菩薩たちを出現させる準備ができたということ。
・「マンジュシリーよ、~妙音菩薩大士が八百四十万・コーティ・ナユタもの菩薩たちに囲まれ、崇められて、このサハー世界へ、~この「正しい教えの白蓮」という法門を聞くためにやってくるのである。」
妙音菩薩が、無限の菩薩たちとともに、釈迦の思考の中から、同じく釈迦の思考のなかにあるサハー世界に現れるということ。
「無限の菩薩たち」とは
①東方の無限の仏国土に住む妙音菩薩の分身のこと。
(釈迦の認識により、未来仏たちの無限の仏国土に妙音菩薩が知られるようになる。)
②東方の無限の仏国土に住む無数の菩薩たち
(妙音菩薩品の読者として登場。見宝塔品の未来仏の従者である菩薩たちと同じような存在。)
P.213
・「世尊よ、その良家の子(妙音)は、善(根)を積み重ねたからこそ、このようなすばらしい性質を獲得したのでありましょうが~」
妙音菩薩が授記を得たのちに、数多くの如来に仕えて修行したということ。
・「どうか如来は(彼(妙音)に)合図を送ってください。~」
釈迦に、思考により妙音菩薩を出現させてください、という、文殊菩薩からのお願い。妙音菩薩からみれば、法華経に呼ばれているということ。
・「そのとき、~シャーキア・ムニ如来は、~多宝如来に次のように言われた。『妙音菩薩大士がこのサハー世界にやってくるような合図を、世尊はお送りください』~」
妙音菩薩の真我(=多宝如来)にサハー世界にやってきて法華経を聞くように訴えかけているということ。
P.214
・「そのとき、妙音菩薩大士は、~八百四十万・コーティ・ナユタもの菩薩たちにかこまれ、このサハー世界にやってきた。」
P.211の「~あのサハー世界へまいりましょう。」と同じような意味。
・「~七宝よりなる楼閣に登って、空中のターラ樹の七倍の高さのところを~やってきた」
※ターラ樹の高さの7倍:49~70m
見宝塔品(P.28)の、未来仏たちが座る「宝樹の根もとにある獅子座の高さとの違いに注意。
※獅子座の高さ:5ヨージャナ(=約64km)
高さの違いは、仏と菩薩の違いということだろう。
P.215
・「(また、)(シャーキア・ムニ)世尊よ、正しいさとりを得た尊敬さるべき多宝如来は、~このサハー世界にやってこられて、七宝よりなるストゥパの中央に坐っておられるでありましょうか」(浄華宿王智如来の問いかけとして)
未来仏が、釈迦に、釈迦のサハー世界の虚空会(教えの会合)に多宝如来(真空とすべての過去仏(全情報))が現れているのか、と問いかけているということ。
P.216
・「世尊よ、私たち(妙音菩薩と同伴の菩薩たち)もまた、~多宝如来のご遺体全体を拝見したいものであります。~どうか(シャーキア・ムニ)如来はお見せくださいますように」
「多宝如来のご遺体全体」は、すべての過去仏、すなわち全存在世界の全情報、最大の「無」を表している。
妙音菩薩たちは、釈迦の教えにより、それを理解したいと望んでいる(実際には、師である浄華宿王智如来の法華経の説法を介して、とも解釈可)。「第三の門」をくぐりたい、とお願いしているとも言える(第三の門をくぐれば、次の一生は如来となる一生となる)
・「いかにも結構である~実にお前が、(私と)~シャーキア・ムニ如来にお会いしたいと思って、また、この”正しい教えの白蓮”という法門を聞くために、また、マンジュシリー法王子に会うために、(ここに)やってきたとは」
多宝如来の賞賛の声。
多宝如来は妙音菩薩たちの共通の真我であるが、その真我が法華経を聞いて、自らが「何もないこと」を認識できることを喜んでいるということ。
P.217
・雲雷王(仏)
雷音のような偉大な教え(法華経)を説く仏という意味。そのような如来の象徴。
・現一切世間
「あらゆる世界で」という意味の象徴的な世界
・「~雲雷王如来に対して、妙音菩薩大士は~七宝よりなる器を献上したのである」
数々の如来に対して、(修行をした)ということ。
・「その雲雷王如来の説法のもとで、妙音菩薩大士はこのような栄光に到達したのである。」
数々の如来の説法を聞いて、今のレベルにまで菩薩行を完成に近づけたということ。
P.218
・「~妙音菩薩大士は多くの仏陀に仕え、~仏陀となる準備を行ったのである。」
同上。菩薩行とは仏となる準備である。
・「~この妙音菩薩大士は、多くの姿形で、この”正しい教えの白蓮”という法門を説いたのである。すなわち~」
現一切色身三昧の具体例。通常人の想像力の限界(三千世界)を超えた範囲(阿僧祇世界)で自ら転生する際の出生の境遇を選べるということである(すなわち、人格(人間の場合)にとらわれず、全く別の存在になれるということである。)
P.220
・「~実にこのようにして、華徳よ、妙音菩薩大士は知力の獲得にいたるのである。」
妙音菩薩は現一切色身三昧による転生と修行によって、悟りを深めていくということ。
ちなみに妙音菩薩は「全能」ではあるが「全知」ではない。多宝如来の遺体の全身を見ることによって、如来となる「知」を得るのである。
P.221
・「~それはまさしく現一切色身という三昧である。」
P.218からのの現一切色身三昧の具体例を参照。ちなみに、「色」は物質的現象、「身」はそれがあらわれたものぐらいの意味。
なお、「現一切色身三昧」と「ビッグバン」は、厳密にいえば、完全に同意ではない。
「ビッグバン」は生まれる環境の創造であり、「現一切色身三昧」はその環境での出生である。いわば、前者は舞台設定であり、後者はキャラクター設定である。
・「ところで、この「妙音」の章が説かれている間に、妙音菩薩大士とともに、このサハー世界にやってきた~菩薩たちが、すべて現一切色身という三昧を獲得した。そしてこのサハー世界における~(多数の)菩薩大士たちも現一切色身という三昧を獲得したのである。」
「妙音菩薩品」を読者として読んだ菩薩たちが、現一切色身三昧を獲得ということ。
妙音菩薩とともに現れた菩薩たちは、この三昧をまだ得ていなかった(ここではじめて得た)ということになる。
そう解すれば、この菩薩が妙音の分身という説はとりにくい(要検討)。
また、釈尊のサハー世界で「妙音」の章を直接聞いた菩薩たちの多くもこの三昧を得たということ。
・「~幾百・千・コーティ・ナユタもの楽器を演奏させて~」
「妙音」(無限の音にならない音)を象徴する表現。
・「世尊よ、私はサハー世界にいる衆生たちに利益をなしました。」
サハー世界での釈迦の説法により、妙音菩薩(来世で如来となるべき菩薩)が何であるか、何をするのかを、衆生に示したということ。
・「そして~多宝如来の遺骨を納めたストゥパを拝見し、礼拝もいたしました。」
多宝如来と多宝塔が何であるかを理解したということ。逆にいえば、これが完全にできる者は、妙音菩薩(来世に如来となる者)ということである。
P.222
・「~かのマンジュシリー法王子にも会い、~」
釈迦の説く法華経を聞いたということ。
・「かの八百四十万・コーティ・ナユタもの菩薩たちは現一切色身という三昧を獲得したのであります」
前頁の「ところで、~」の註を参照。
・無生法忍(認)
省略
※長くなるので、別途説明します。
・「また華徳菩薩大士は、”正しい教えの白蓮”という三昧を獲得した。」
「”正しい教えの白蓮”という三昧(法華三昧)とは、いくら転生しても、法華経以外の経典に反応しなくなる(興味を示さなくなる)という状態である。
ちなみに、華徳菩薩の前世は妙荘厳王本事品の妙荘厳王である。