仏教的に見た「時間」の意味

 11次元においては、「何も始まっていない状態」と「すべてが滅尽して終わった状態」は同じである。言い換えれば、過去と未来の区別のない”Everything is Nothing”という状態がただそこに(在るともいえない状態で)在るといえる。

 純粋な認識作用である無性法認(忍)が「何もない」ことを認識するためにどうするか?そのためには、「何もない」状態を「過去」と「未来」に分け、その間に「現在」を置き、時間の流れを作ることになるであろう。

 無性法認(忍)は、「何もない」、「過去」と「未来」の間に無限のプロセス(無限の存在であり、無限の「現在」)を作り、「何もない」ことを思考により認識しようとしているのだ。

 この「現在」について説明しているのが、法華経であるともいえる。

 すなわち、現在とは、無限の「過去」(実は「未来」も「過去」の思考である)を認識する純粋な認識作用であり、無性法認(忍)そのものであるといえる。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、自己探求家。 現在、小宮光二氏のYoutubeメンバーシップにて、新仏教理論を学んでいます。

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