(とくに記載がない場合、ページは『中公文庫 大乗仏典4 法華経Ⅰ』による。)
P.215
・「また、彼は縁起の経過を(次のように言って)詳細に解き明かした。
『かくして、比丘たちよ、実に、無知(1.無明)を条件として生成のはたらき(2.行)があり、~識知(3.識)があり、~心的・物的な存在(4.名色)があり、~六種の認識の場(5.六入)があり、~接触(6.触)があり、~感受(7.受)があり、~渇愛(8.愛)があり、~執着(9.取)があり、~生存(10.有)があり、~誕生(11.生)があり、~12.老・死・愁苦・悲嘆・苦悩・憂悩・惑乱があるのである。』」
・「『(そこで、)無知が寂滅することによって、生成のはたらきが寂滅し、~識知が寂滅し、~心的・物的な存在が寂滅し、~六種の認識の場が寂滅し、~接触が寂滅し、~感受が寂滅し、~渇愛が寂滅し、~執着が寂滅し、~生存が寂滅し、~誕生が寂滅し、~老・死・愁苦・悲嘆・苦悩・憂悩・惑乱が寂滅するのである。こうして、このまじりけのない苦のみの大きな塊が寂滅するのである』と。」
※番号は筆者が記入した。
この箇所は、仏教の基本概念である十二因縁の説明となっている。大通智勝如来も釈迦と同様に、四聖諦や十二因縁から教えを説き始めたということである。
詳しくは、「仏教ウェブ講座 十二因縁とは?」を参照してほしい。
ちなみに、補足しておくと、1・2が過去世、3~10が現世、11・12が未来世の因縁である。また、2は過去世のカルマ、10は現世のカルマのことである。
P.216
・「さらに、比丘たちよ、~大通智勝如来は、順次に、第二の説法を行ない、第三の説法を行ない、第四の説法を行なったのである。」
P.217-218
・「そのとき、比丘たちよ、~大通智勝如来は、彼ら沙弥たちの深い志願(からの懇請)を知って、二万劫が経過したあとで、”正しい教えの白蓮”という法門~を、彼ら四衆すべてに詳しく説いたのである。」
ここは、法華経が阿含経、方等経、般若経、華厳経に続く第5の教えである根拠を示している箇所である。
P.218
・「そこで、比丘たちよ、実に、かの正しいさとりを得た尊敬さるべき世尊の大通智勝如来は、彼ら十六人の沙弥たちに、この上ない正しい菩提にいたるであろうとの予言を与えられた。」
ここでは、一見、大通智勝如来の実子である16人の沙弥(少年僧)たちが授記を与えられているかに見える。しかし、彼らはすでに他の衆生たちを教化できるほどのレベルの高い菩薩であるので、過去にすでに授記を得ていたと考えられ、また、小宮氏が「授記を受けるのは生命存在として一度だけだ」と語っていたことから、ここでの「予言」を他の箇所の授記と同様に評価して良いかはわからない。
・「けれども、比丘たちよ、実に、~大通智勝如来が、この”正しい教えの白蓮”という法門を説いたとき、彼の弟子たちもかの十六名の沙弥たちもそれを信じ、理解した。しかし、幾百・千・コーティ・ナユタもの多くの生命あるものたちは、かえって疑惑をいだいたのである。」
方便品において、釈迦は「信仰の核心の上に立つものとなった」(p.51~52)集会において法華経の教えを説き始めたのであるが、大通智勝如来の法華経もそのような如来を信頼する者たちでないと、それを信じ理解できないということである。
P.218-219
・「比丘たちよ、それから~大通智勝如来は、この”正しい教えの白蓮”という法門を、八千劫のあいだ休みなく説きつづけたのち、ひきこもって禅定を修めるために僧房にはいった。そして、比丘たちよ、このように禅定にひきこもったまま、その如来は八万四千劫のあいだ僧房のなかにとどまったままであった。」
・「そのとき、比丘たちよ、かの十六名の沙弥たちは、~その一人一人が説法の座としての獅子座を設け、それらの上に坐って、かの世尊の大通智勝如来を礼拝してから、この”正しい教えの白蓮”という法門を、八万四千劫のあいだ、四衆に向かって詳しく説き明かしたのである。」
・「比丘たちよ、その場で、沙弥の菩薩一人一人は、~生命あるものたちを、この上ない正しい正しい菩提に向かって成熟させ、導き入れ、教え、奮いたたせ、歓喜させ、悟入させたのである。」
大通智勝如来は、一旦、法華経を説くのを止めて、ひとり僧房に引きこもり禅定に入ったということだが、これには目的があった。それは、16認の沙弥たちに、多くの人々に法華経を説き、「この上ない正しい菩提に向かって成熟させ、導き入れ、教え、奮いたたせ、歓喜させ、悟入させ」るという試練を与え、菩薩として育成するということであり、さらに、教えを受ける衆生たちとの深い絆を作らせるということである。
この後、それが成就したのを見計らって、彼は再び説法の座に坐る。
菩薩は衆生に如来との縁をつける存在であるが、如来もまた、菩薩に衆生との縁を付けているのである。
P.219-220
・「比丘たちよ、かの世尊の大通智勝如来は、その説法の座に坐られるとすぐに、ここにまず聴衆の集会の全体を見まわしてから、比丘の僧団に(こう)告げられた。
『比丘たちよ、これら十六名の沙弥たちはすばらしいものとなり、まことに稀有な存在となった。~』」
・「『比丘たちよ、お前たちは、これら十六名の沙弥たちに対する奉仕を何度もくりかえしてするがよい。比丘たちよ、声聞の道に属するものにせよ、独覚の道に属するものにせよ、菩薩の道に属するものにせよ、これらの良家の子たちの説法を謗(そし)らず、退けないであろうものはだれでも、彼らはすべて、速やかにこの上ない正しい菩提を獲得するものとなろうし、彼らはすべて、如来の知に到達するであろう』」
上記の16人の菩薩の成長と、彼らと聴衆たちとの深い絆ができたことを見定めた上での、大通智勝如来の言葉。上述の趣旨がここで改めて宣言されるかたちとなっている。
P.220
・「さらにまた、比丘たちよ、彼ら十六名の良家の子たちは、その世尊の教誡のもとで、この”正しい教えの白蓮”という法門を何度もくりかえし説き明かした。さらに、比丘たちよ、(かの十六名の)菩薩大士は、その一人一人が、~衆生を、さとりに向かって導き入れたのであるが、それら(の衆生たち)はすべて、かの十六人の菩薩であり大士である沙弥とともに、(生まれ変わるたびごとの)それぞれの生存において出家をなし、それら(十六名の菩薩に)会って親しく彼らから教えを聞いたのである。(こうして)それら(の衆生たち)は四万・コーティもの仏陀たちを喜ばせてきたし、(彼らの)あるものは、今日も喜ばせているのである。」
ここで、さらに、大通智勝如来の教えのもとで縁を深めた16人の菩薩とその他の衆生たちは、転生を繰り返すたびに、いわば、師弟関係にも近い「教え―教えられる」という関係となり、また、成長した衆生たちは数多くの仏陀を喜ばせているというのである。
・「これら十六名の若き王子たちは、かの世尊の教誡のもとで、沙弥となり説法者となったが、殻らはすべて、(そののち)この上ない正しい菩提をさとったのであり、また、そらら(仏陀たち)はすべて、いま現におられ、~十方にある種々の仏陀の国土において、~多くの声聞や菩薩たちに教えを説いておられる。」
大通智勝如来の実子であった16人の菩薩たちは、それぞれ仏陀へと成長し、十方(正確には8方位と中央)で今も教えを説いていると言っている。
なお、後述するように、その16人の仏陀には、釈迦自身も含まれている。