イエスの生涯.1 誕生-修行時代.新しい視点からイエスを考える![0075]

【オリジナル動画】
KoJi,s DeepMax 2019.1.23配信
https://youtu.be/rsU8N7lW2Ds?si=f9wh3gnghFAPpSUC

【説明欄】
なし

【音声解説】
はい、こんにちは。
今日はイエスです。イエスキリストの生涯を追ってみたいと思います。

彼の記録は4つの福音書彼の三人の直弟子と、そして一人の孫弟子にあたる人です。
この人たちの四つの福音書によって彼の言行録が本当にわずかですけど伝えられています。
その福音書では彼はベツレヘムのガリレヤ湖周辺で生まれて13才の時の記述を最後に30歳の時に、再びイスラエルの家に戻って来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受ける。この17年間が、すっぽりと消えています。それから3年間です彼はイスラエルエリアでガリレア湖中心に伝道して、そして最後にイスラエルの、お宮に登って捕縛されて、十字架にかけられる、という一生を送ることになります。

彼は33才で歴史から消えるんですがその後もインドのサイババによると、彼は80歳近くまで生きて北インド中心に活動したって残ってます。その足跡を追ってみたいと思います。
純粋なクリスチャン達からは非常に認め難い内容になります。
イエスに関する教典は、インドのあちらこちらに残っています。アガスティアの予言からもイエスが南インドに行ったと残っています。それらをベースに今回、構築していきたいと思います。

はい、イエスの生涯を追う旅です。第1回目は イエスの修業時代です。前半抜け落ちた17年間を追ってみたいと思います。これは、イエスの誕生に博士達がやってきて祝福している場面です。画面中は、お父さんのヨハネです。

イエスはベツレヘムに生まれました。ヨハネとお母さんのマリアさんはイスラエルの北側のナザレという町に住んでました。ナザレは大変な田舎です。今、伝え聞くところによると300人くらいの小さな集落です。彼は洞穴に住んでました。

その頃の、その辺りの人は洞穴に住んでいて、ヨセフの洞穴マリアの洞穴。誰々の洞穴っていう感じです。

洞穴に住んでました。そしてお父さんのヨセフは大工って言いましたけど日本人で大工と言うとカンナとかトンカチとか持って材木を立ち上げて家を建てるイメージがあるんですが向こうの大工と言うと石切職人です石膏職人洞穴の中に色々、台を作ったりはします。基本的には石を切って積み上げたり。石が中心の文化です向こうは。ですから日本語の聖書の翻訳って非常に違ってます。今、見えてる場面もです。洞穴で生まれました。馬小屋で生まれと、日本語では訳されてます。私も現地に行ってきました。大きな洞穴があって非常に長い3本4本続いている洞穴があってその端の洞穴のそこに藁を積み上げて、そこでイエスは生まれました。

当時、人口調査があってヨセフはマリアをロバに乗せて4日5日ぐらいかかってナザレ村からイスラエルの宮の方に渡って、そこで人口調査に登録して、産気づいて宿を探したけど無くて、それで大きな馬の洞穴でそこの端っこを借りてイエスは、そこで生まれました。そして、そこをです。東方から来た博士達はアストロジーで偉大なる救世主が生まれる事を突き止めました。

最初は、別なところに行ったんです。王様の所に行ったんです。そこには居ないって事が分かります。そこで不思議な星に導かれてこのベツレヘムの外れのイエスが生まれた洞穴にたどり着ます。そこで生まれたばかりのイエスを祝福している場面です。この家は イエスが、ナザレ村に帰って、お父さんのヨセフの洞穴の中でテーブルに座ってヨセフから勉強を教えてもらってるとこです。左にお母さんのマリアが居ます。この前にですね。
もともとユダヤ人には、自分たちの中から1人の救世主が出て来てイスラエルの民を牧するという予言があります。それを読んでみますね。

お前、ユナの地なるベツレヘムよ
お前はユナの町々の中で最も太っているものでは決してない
一人の偉大なる支配者が、お前の中から出て我が民イスラエルを牧するのだから。

イエスが生まれた当時、ヘロデという王様がユダヤ人のイスラエル王国を治めていました。当時の巨大地中海帝国は、ローマが治めていました。

この中のイスラエルは、その中の非常に反抗的なユダヤ人の小さな国として、手に負えないような小さな国でした。

今で言うとテロリスト団体です。ローマの言う事に逆らう、そういう団体が、このイスラエル人の中にも幾つかありました。そして東の国から、まずヘロデ王の時に博士達がエルサレムに来て博士たちは、アストロジーで今度、生まれたユダヤ人の王キリストは何処にいますか?我々は、その方の星が出るのを見たので拝みにまいりましたと、ヘロデ王に言ってしまったのでヘロデ王は、そんな大王が生まれて私から、このイスラエルを盗ってしまうのかと恐れました。そしてこの博士達がどこに行くのかを追跡調査させました。その結果ベツレヘムに行ったと解りました。そして、そこにキリストが生まれたということを確信しました。
そしてヘロデ大王は、2歳以下のベツレヘムで生まれた子供達を殺してしまいました。イエスが、その難を逃れるために、お父さんのヨハネの夢の中に天使が出て来てエジプトに逃げなさいと言った。そういう予言を受けました。

そしてその間この家族はエジプトに逃れていました。そして再び天使がヨハネの夢の中に出てきて、もう大丈夫だから戻りなさいって言われたのでナザレまで戻って、そして安心して暮らし始めたところが、この絵です。はい。

この当時イスラエルを治めていたヘロデ大王っていう人は戦国武将の中の戦国武将で身内もほとんど全部殺して王の位についた人なので非常に獰猛な人と言うか容赦のない人でした。サティヤサイババによるとイエスは17歳の時にエルサレムで非常に聡明な子である、彼こそメシアではないか?という評判がイスラエル中に立ってきて命を狙われるような状況になったので17歳の時に、イエスの支持派の人たちがイエス少年を商隊に混ぜて北インドに旅に出したと伝えてます。

サティアサイババによると、17歳の時にイエスは商隊に混ざって旅にでて最初北インドです。北インドに入ったって言ってます。

最後には イエスは76歳、80歳、近くになって、このラフォールって所でお亡くなりになったとサティアサイババは語っています。この辺りがイエスについて書かれた書物に今も残ってるって言われています。はい。

「イッサ伝」というのが、チベットにあるらしくて、それによるとですねイエスは最初、北インドに入って来ます。

そこで先生に付いて3年くらいヨーガを学んでいたって、言われています。イエスが使った超能力、神通力はあれは完全にインドのヨーガの使う神通力です。空を物質化したり水の上を歩いたりとか、予言とかです。

サティアサイババとかアガスティアとかが使っていたのは、こういうものです。その後イエスは仏教の「一切経」を読み始めます。当時のイエスが生きた頃は、ちょうど統一されたマガダ国が滅亡して経典がパーリ語とサンスクリット語に役にされたものが経典になって流布されていた時代って言われています。イエスは、お釈迦様の教えに気が付くと「一切経」の全体を読み始めます。

その中で法華経に気がつくとヨーガも何もかも全部捨てて経典を持って法華経だけを持って二十歳の時にヒマラヤの人のいないエリアに入っていったと言われます。それで5年間、昼は法華経を読んでは瞑想し法華経を読んでは瞑想しって言う生活を続けてそうして25歳のときに悟りを開いて自分は旧約聖書にあるメシアであるということに気がついたといいます。
しかし旧約聖書でメシヤは最初に無敵の神通力を人民に示した後、犬のように弟子達から裏切られ、そして殺されてそして鞭打たれ、そして十字架に上げられて晒し者にされて、それから3日間死んだ後、復活してその姿を弟子たちに見せることによって弟子達を無敵の菩薩に変えるという。その人生を嫌だと思います。殺されるって言うのが特に嫌だと思いました。そしてアガスティアの予言によると25歳の時に南インドに行ってここで5年近く逃避生活していただけですね。しかし考え直しやはりメシアとしての一生を過ごす神の御心に叶う一生を送ろうと決断して北インドからエルサレムに戻ったとアガスティアの予言には出ていました。

そしてチベットに伝わる「イッサ伝」という本によるとイエスはカピラバストゥとかラージャグリアのグリッドラックとか、釈迦が法華経を説いた所です、あとベナレス、釈迦が「初転法輪」した所とかを観光で周ったり巡礼してそういう時間を過ごしたと書いてあります。
ですからイエスの人生にとって釈迦と法華経っていうのは彼の人生にとって一番大きなものです。それが全然、聖書では伝わってないんですが、もしも5番目のシモン・ペテロの福音が出てくる世界や時代があったとしたら、そこにはそれらが全て書いてあります。

当時のイエスが修行時代にインドで見た風景です。こういった風景をイエスは見てました。こんな村々が続いていたでしょう。

南インドの食べ物ミールスです。あと北インドではターリーです。イエスも、こういうものを手で食べてました。こういう、お寺なんかも南インドに来た時には見てました。サドゥとかも、いっぱい、居たでしょう。イエスは「護摩焚き」の儀式とかも見たでしょう。そして仏教の経典、特に法華経に気がつくと、それにしか興味なくなります。

イエスレベルの人だと、もうそれしか読みません。当時のユダヤ人はヘブライ語、ギリシャ語 、アラム語、このあたりを話していたといいます。さらにイエスは何年間かかけてパーリ語、サンスクリット語、まで読むことができるようになったでしょう。

その後、 イエスは父上、父上って仏のことを言うんですけど、父上はヘブライ語ではヤーべ、ヤーべっていうのは日本人から見るとユダヤ人が神様、神様って言ってるように見えますが、実は、お父さん、お父さん、という意味なんです。

イエスはですから仏の事を、いつもヤーべって呼んでいました。ヘブライ語で神様の事はエロヒムです。

ですから神と言う言葉は使わないで父上って言ってました。この父上って言葉はヤーべって言葉は法華経の如来寿量品の医者のお父さんの喩えから来てますね。

医者のお父さんが子どもたちを育てていた。法華経を宇宙の始まりを、なんでこの世界は生まれたのかを解き明かしていたんですけど、それを経典に残して去ってしまった。子供達はお父さんが亡くなって悲しんでいたけど、お父さんが残してくれた学べといった法華経を一生懸命学びました。そのまま薬として、学んだ子どもは、ちゃんと成長して如来になった。
その頃お父さんが帰って来ました。ちゃんと学んだ良い子供と学ば無い悪い子供とに分けた、この如来寿量品の例を仏のことをイエスは後に ヤーべと言いましたね。

父上と呼びました。エロヒムという言葉は使いませんでした。はい、これはですねチベットエリアの写真ですね。考えてみるとイエスの大体80年の人生の¾は、60年インドとチベットで暮らしてました。

ですから彼の人生にとっては本当にイスラエルで暮らした時代っていうのはかなり短くて、むしろこういう文化の風景の中で暮らしてました。後に彼の弟子の、この下の人です。
フィリッポと言います。この人はインドのマドラスで死んでます。こういう仏教遺跡なんかもイエスは見てました。相当こういう風景を見てました。

如来と菩薩の関係。なんで何もない真空にビッグバンが起きたのかを法華経から解き明かして、それで悟りに至りますね。大体いチベットにいる時は、こういう袈裟衣をきた仏教徒たちと一緒に過ごしてたんで、こう言う人達と一緒にいる時間が彼にとっては至福の最高の時間でした。ですから我々の思っているイエスの西洋的なイメージと、全く違う東洋的な人生ですね。瞑想とそして法華経とそして悟りですね。まあ彼の脳裏には、こういう言葉が常にありました。「ブッダ」、「仏教」、「釈迦」、「シャリープトラ」、「モッガラーナ」、「プールナミタラニシ」。

ですからイエスを理解する上では今、写っているような仏教文化そしてインド文化というものを理解すると彼が語り後に聖書に纏められた言葉、また彼が成し遂げた神通力、こういったもの全てがわかります。ですからむしろインドの中にこそイエスの教えを本質的に理解するヒント、それがたくさんあります。

この風景なんて、もうイエスにとって一番懐かしい自分の故郷を見ているような風景でしょう。これ夏のヒマラヤなんですけど彼にとってこのインドの広大な地チベットの広大な山脈を見ながら悟りを開いた彼にとっては、むしろイスラエルとかああいうところは偏狭なユダヤ人達が凝り固まった小さなコミュニティ社会でしかも彼から見ると、もう終わってしまった一つの文化ですね。そこにイスラエルの宮殿があったりしてそこがまたローマに支配されている、そういったものは非常にストレスになりました。彼は宇宙の始まりが、なんで何もない真空にビッグバンが起きて今、地球があって自分がここにいるのか、

そしてこの法華経を読んで「9次元構造」、「一念三千の無限の並行宇宙」、「真空」、「仏国土」そして「欲界」って言う「三界構造」、こう言ったものを理解して、そして「天人達」、「精霊達」と話をしてました。「菩薩」や「天人」や「天使達」なんかと話してました。

しかし彼はですね 、幼い頃から学んでいた旧約聖書で自分はユダヤ文化圏の人間であり、そこでな教えを説いて、そして十字架に挙げられることによってその教えが世界中に広まる。コレをこの時彼は理解してました。

彼の有名な言葉で、一粒の麦は地に落ちて死なねば、いつまでも一粒である、だから私は命を捨てる。
この世の命を可愛がるものは永遠の命を失い、この世の命を憎む者だけが永遠の命に入る。

こういう言葉を残しています。これなんか完全に釈迦の教えから来ている言葉ですね。
イエスは30歳ぐらいまでインドを放浪した後、意を決して、再びイスラエルの地に戻ります。そして世界に教えが広まるという運命に挑戦することになります。

ここでイエスの修業時代は終わります。

文字起こし:ぼだなんばく
校正:次はノリヒト
編集:Rico

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、自己探求家。 現在、小宮光二氏のYoutubeメンバーシップにて、新仏教理論を学んでいます。

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