多宝塔の住人である「すべての入滅した過去仏」を、一人の如来として擬人化したもの。
「すべての如来の遺骨が一塊になったもの」と「多宝如来の全身」は同義であると考えられる。
・10次元の「未来仏」と11次元の「過去仏」について
10次元の視点では、「一人の如来の授記から始まるストーリー」として、授記、すなわち師弟の絆で繋がったすべての存在が一つの虚空会において未来仏として現れる。
一方で、11次元(=多宝塔)の視点では、すべての如来の個々が起点となる授記のストーリーが渾然一体となっていると認識される(小宮氏の言葉によれば、「かたちにならない」状態であるという)。すべての存在が、あるときは如来として、あるときは弟子として、関係性を変えながら個々のストーリーに登場する。
言い換えれば、11次元には全ての虚空会が畳み込まれているといえ、また、すべての創造世界の全情報が存在するといえる。
そのような11次元の全如来には過去仏、現在仏、未来仏の区別がなく、すべて過去仏であるとしか記述のしようがないのである(もともと時間認識には極小の現在と過去しか存在しないので、極小の現在である認識の場を除けば、過去しか存在しないといえる)。