一般的には、「物質的な執着から離れた精神状態となること」などと理解されているが、小宮氏の法華経解釈では、より現代的な立場をとる。すなわち、量子力学的な「粒であり、波でもある」状態とは何かを理解していることが解脱しているということであるという。
つまり、例えば、微粒子を3次元的・物質的側面から見れば、唯一の確定的事象(粒)であるが、5次元的・精神的側面においては、不確定な事象(波)であるということを理解していることが解脱であり、仏教的にいえば、「色即是空とは何かを理解していること」となろう。
また、言い換えれば、3次元的・物質的視点によれば、一つの確定した現実世界は実は高次の精神的視点から見れば無限の仮想現実の中の一つにすぎないということになり、解脱しているとはそのような無限の仮想現実の中の一つを生きているにすぎないという視点を持つということになる。